
世の中に言葉で損している人は本当に多いと思います。 些細なひとことで傷つけてしまったり怒らせてしまったり。そして大抵は相手に伝わってしまったマイナスの印象を自分が気づくことはありません。 なぜならそのことを相手は教えてくれないからです。
一つ一つの小さな言葉の積み重ねはあなたという人物を客観的にみる人たちの印象として根付いていき、あなたという人の人物像を描いていくのです。
これは話す相手にわかってもらおうと丁寧に話しているつもりなのに諭すようにしゃべっているのが原因です。
意識せずに上から目線になってしまう口調を直そうと思うなら「わかってもらおう」から始めるのを控えてみるといいかもしれません。
目次
同じ目線とはどのようなものか
上司や先生、近所のおばちゃんなど自分より目上の肩書や年の人がいますがその中で必ずいるのが好かれる人です。
そして同じようにいる上から目線で人から敬遠される人。
どちらの人もおそらくは人と仲良くしたいですし好かれたいと思っているはずなのになぜ印象が相対して違ってしまうのでしょうね?
好かれる近所のおばちゃんから学ぶコミュニケーション術
井戸端会議などという言葉があるようにおばちゃんのコミュニケーション能力は総じて高いという印象ですがやはりおばちゃんにもいろいろな種類がいます。
好かれるおばちゃんはしゃべりかけてくる時に間合いを詰めてきます。そして話したいことを遠慮せずにサラサラとしゃべっていき話が終わるとそそくさと立ち去っていく、そんな印象です。

敬遠されるおばちゃんは社交辞令的にウワベの挨拶と当たり障りのない話をしていきますがなぜか小さな自慢話が挿入されいたりします。
コミュニケーション能力について不安を感じているあなたはこの二種類の種族に遭遇したときどのようなことに気を使いますか?
- 喋りかけられないように目を合わせない
- 失礼のない言葉を選ぶ
- 我をださないように気を付ける
- 立ち入ったことを聞いて不快にさせないようにする
マナーを大切にするための注意点を本だったりネットだったりで見かけます。それらに書いてあることはなぜか好かれるおばちゃんが実践することと正反対な気がしています。
この人と喋っているとなんか楽しいと思わせるおばちゃんはイメージでいうなら肉弾戦です。

敬遠されるおばちゃんのイメージは遠くから弓を弾いて戦っている感じ。
あなたが気を付けている点が上の箇条書きに当てはまるなら果たしてあたなは好かれるおばちゃん像でしょうか?
マナーに固執するあまりコミュニケーションが取れなくなっていませんか?
懐にはいっていく間合いの詰め方を極端に苦手とするならば礼儀を考える前にまずその人と向き合うことが大切です。本当に直近にあったことを説明するだけでも会話なんて成立します。あとは話好きなおばちゃんが勝手に喋ってくれますから。
数々の指南書とは正反対のことを書いていますが丁寧に言葉を選ぶ前にまずはパーソナルスペースに飛び込んでしまうくらいの方が親近感のわく人物像になっていくのだと思います。
好かれる先生から学ぶコミュニケーション術
怖い先生ですぐ注意もする、なのに好かれる先生って凄いですよね。優しい顔で注意もしないのになぜか生徒に嫌われる先生もいます。不思議ですよね(;´・ω・)
別に怖くなくてもいいのですが好かれる先生はやっぱり生徒と近いんですね。注意するのも褒めるのも距離が近いから。
逆に全然怒らない先生がたまに怒ると一気に反感をかったりします。
身近に感じる先生は端的にそのことを怒って終わりだから生徒も何を怒られているかすぐに認識できます。
ところが怒るのが苦手な先生は小さな注意を心に留め置いて堪忍袋の緒が切れたときに爆発します。
この時に溢れてしまう思いからかなぜ怒られたのか、どうしてこうなったのか、これまでどうだったのか、韻を踏むように諭していくことが往々にしてあります。
生徒からしてみたら怒られることはもっともでもグチグチと嫌味を言われているようにしか感じなくなってしまいます。
躊躇せずに些細なことも言うという癖は意外と相手にあっさりとした印象を持たれます。
例えるならその時々で喜怒哀楽を主張する先生の言葉はSNSのログのように絶えず流れていく言葉なので相手の心からもさーっと流れていくのです。
好かれる先生から学べることは思ったことは気後れせずに小さいまま出していった方がいいということです。
好かれる上司と敬遠される上司
上司と部下の話は先生と生徒の話と似通いますがきちんと指示して、ミスをしたら注意する。問題があればフォローしてそのことを部下にしらせて注意する。
当たり前のことですが成功の賛美と失敗の反省を部下にさせなければ伸びしろは作れません。
きちんとメリハリをつけて部下と接する上司はコミュニケーションをとりやすくなっていきます。
怒るだけの上司や何も言わない上司、責任をとらない上司いろいろいますが結局のところログとして流せる範囲のやり取りが日ごろからあるのとないのでは人格の印象は大きくかわるものになるでしょう。
上から目線ってなに?
縦の関係においても横の関係においても結局のところ自分の思うことを相手にリロードする会話こそが上から目線なのです。

注意は間違えていることを指摘して反省してもらうことですが諭して理解してもらうことではありません。
だいたい普通に考えれば注意されたことが注意されるに値するなんて誰でもわかります。
だから諭すまでもなく「あ-おこられちゃった」くらいなんです。
あなたに5つの間違いがあったとしてその時々にパッと注意されるのと溜めおいていたものを最後にグチグチと長く諭されるのではどんな印象を受けますか?
何か人格まで否定されている気分になりかねません。
コミュニケーションは一瞬とめてしまうその心の声を開放してあげるほうが我が強かったり偏った意見であっても意外と受け入れてもらえるものです。
最初から近所のおばちゃんスキルをお持ちの方は巷で書かれているように少し考えてマナーを意識するほうが中和されるのかもしれないですけどね|д゚)